さてさて、読んでいる本「独特老人」の中で面白かった一節。

古池や蛙飛び込む水の音

有名な松尾芭蕉の歌です。

これは一般的に静けさの中でパチャンと飛び込んだその小さな音がさらに静けさを詠んだ歌だと思われていますが、だけども見方を変えれば蛙が飛び込んだその音から春の息吹がぶわっと広がるのを感じた、という歌なのではないか、と書いてありました。(私個人の感じ方かもしれませんが)目からうろこデス。

何事も幽玄で美しいことばかりが日本の美の在り方のように思うかもしれませんが、もっと空を大海に見立てて鯉のぼりを泳がすように、丸山応挙のようにデフォルトして絵がデザインになっていくように、北斎の版画のようにおおらかなところから新しい力を生むような、大胆である意味ちょっと大雑把(笑)でもあるようなそういう勢いとか、美しさがあってもいいのではないか、と気づかされました。

片方からの思い込みや個人的な気持ち以外の考え方や感じ方だけじゃないと再度思いました。

プロコフィエフはこうあるべき!と思っても、フランチェスカッティの演奏はプロコフィエフというよりフランチェスカッティ節を楽しむものなんだ、という事です。(笑)

庄司さやかちゃんのプロコフィエフ、私の思うプロコフィエフに近い。

でもフランチェスカッティ。

最初からフランチェスカッティ節。これでいいのだ。

私も私の料理もそういう自由な人になりたいな。